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ISHIKAWA Kiyotaka

Music.Art.etc…

16-08-20 ミューザ川崎 学校の先生方のためのワーク

ミューザ川崎で小学校の先生のための研修会が開かれ、マイクさんがワークと併せてお話しをしていました。
学校の先生方も「アクティブラーニング」というキーワードで、児童が主体的に行う学びの形を授業の中でどのように進めていくか、非常に興味深く、いろいろ考えられているようでした。

学校の先生をなさっていて、今はミューザ川崎にお勤めの金子先生ともお話しさせていただき、今後の自分たちのプログラムにも非常に勉強になりました。ミューザのみなさん、教育センターのみなさん、ありがとうございます。

仲道郁代さんの「不思議ボール」千葉公演

2011年、10年前からどうしても行きたかったアイルランドを初めて旅することができた。

街の中に音楽が溢れ、劇場文化があり、自然と妖精が生きている街にどうしても自分で行ってみたかった。

完全に素人だけれど、写真を撮り歩きながらダブリンと南アイルランドを旅して歩いた。勝手気ままに。

 

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帰ってきて考え事をしながらちょっとしたウェブサイトっぽいものを作った。

そこに記したのが、「写真を聴いてみよう、音楽を見てみよう」。

数年が経ち、仲道郁代さんに出会い、その考え方に触れた。

「子どもに、大人以上のリスペクトを。」(※1)

と著書に記している仲道さんは、「こどもたちに、音が見えるようになってほしい」とおっしゃっていた。

今、ふと自分が「音楽を見てみよう」と書いた時のことを思い出し、「ははぁ、なるほど。だから僕は仲道さんの考えにすっと入って行けたのかな」と思った。

見えにくくなっていくから、自分が見たい何かを見た証に写真を撮ろう、と思ったその時から、撮った写真は、聴くようにしている。その時の街の音、話し声、風の音。

そして2015年11月、僕の先輩が最終的に実現させてくれた、仲道さんのコンサートに携われる。
約2年かけて進めたプロジェクト。

「不思議ボール」

紙芝居のような映像とともに仲道さんのピアノが物語を紡ぎ、子供たちはもちろん、おとなたちにも語りかける。

音の世界が見えるようになるのか。

どんな世界が見えるんだろう。

ひとりひとり違った景色が見えて、それでいい。

「答えはみんなの胸の中にあるんだよ」と語りかける仲道さん。

このステージを、自分が大切に思う友達に聴いてほしい。
そのお子さんたちにもぜひ聴いてほしい、見てほしい。

公演の情報は↓

http://www.f-cp.jp/info/kouen.php?serial=1783

※1(「ピアニストはおもしろい」仲道郁代 2015 春秋社 p.220)

 

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こみゅぷろ!バード。

こみゅぷろ!inホール公演がおわりました。

当日券でいらしてくださった方も多く、楽しい公演になりました!

終わってしまってなんかさみしいので、

デザイナー・進千紘さんが作ってくれたチラシを残しておきます。

上のパタパタはチラシの中に出てくるこみゅぷろ!バードちゃんです。

今名付けました。もっと良い名前、募集中。

bird - comupro

bird – comupro

こみゅぷろ(A4)

シンポジウム&ワークショップin京都 Day2

昨日に引き続き、京都。今日は池坊短期大学のホールにて、ワークショップ。

同志社大も池坊短期大学も建物が1号館とか2号館じゃなくて、

良心館とか、和な名前。洒落てます。

 

午前中は仲道郁代さんの鑑賞型ワークショップ。

「音が見える人になって欲しい」とのことで、工夫を凝らして音を視覚的に訴えていました。

抽象的なイラスト(画)を3枚見せながら短い曲を弾いて、終わった後にどの画が曲のイメージに近いか尋ねられて、みんなそれぞれに手を挙げる。そのうち2、3人から何でその画が一番イメージに近いか尋ねるとそれぞれ答えはみんな違う。

「あったかそうだから」。

「水面に浮かんでいる」。

それぞれ違って、それぞれみんな正解。「正解はみんなの心の中にあるんだよ」と、郁代さん。

今回は大人の集まりだったけどみんな顔がほころんだ。

・鑑賞型のWSでは説明をするのではなく、五感に訴える

・他の芸術のジャンルからのアプローチ

・「正解」ではなく、「自分の答え」

・他人の意見も認める

ことについてポイントを置いているそうです。

 

体験型のWSでは、

・感じる事は人それぞれで良いと実感してもらう

・他の参加者に「認めてもらう」体験をすること

をポイントにしているそうです。

ワークショップを行う上で必要な事をたくさん話していただきましたが、

ここではとても書ききれません。

 

マイク・スペンサーさんは「時間と調和の探求」というお話&ワーク。

2人1組で新しい友達と脈を取り合う。これは鼓動の実感。

パルスから始まった音楽の起源から始まり、いつもの独特なプログラムで

ハーモニーやポリフォニーを理解しやすく話&実践してくれます。

楽典の辞書も大事ですが、こういうぐいぐい引き込まれるようなきっかけ(仕掛け)も必要だと思いました。



河村晴久さんは、能の面(おもて)にまつわる話、「かまえ」の体験、など基本のきから説明してくれました。謡の方々も来てくれて演奏も聴かせてもらう。謡にあわせて一般の人が手拍子する経験なんてそうは無いだろうと思います。

能は五線譜のように決まったものではなく、緩急や音程は演者によって毎回異なるそうです。

型(かた)は決まっているますが、もしかしたら能は形のあるJAZZなのかも知れませんね。

 

 

とりとめもなく備忘録的に書いてしまいました。

 

 

シンポジウム&ワークショップin京都 Day1

同志社大学で開かれたシンポジウム&ワークショップ「世界から見た日本の真髄」。

一日目はシンポジウムで日本文学がご専門のJ・ルービン教授(ハーバード大名誉教授)の講演からスタート。村上春樹氏の、最近だと「1Q84」の英訳もしたルービン教授。能の研究をされたこともあるそうですが「研究すればするほど奥深く限りが無い」という・・。

確かに深いです、能。もちろんまだまだ浅いところしか知りませんが。

これは後ほど聴いたシテ方の河村晴久先生のお話ですが、自然との調和、大地(自然)とひとつになろうとする姿勢が能の基本スタンスのようです。

 

ルービン教授の後には、丸紅で活躍された紿田 英哉氏の講演。

紿田さん自身はスズキ・メソードでヴァイオリンを幼少から習い、そのことが後のビジネスマンとして国際社会の中で多いに役に立ったと教えてくれた。

そのスズキ・メソードがU.S.を経由してベネズエラに渡り、それをヒントにエル・システマが生まれた。

そして東日本大震災の後、再び海を越えて日本に帰って来て、エル・システマジャパンという音楽を使った活動・教育システムになっているとのこと。

外国との異文化交流と言うのはこういう事なのかもしれませんね。

 

その後にマイク・スペンサー氏、仲道郁代氏、河村晴久氏のそれぞれの活動(ワークショップ)の状況やスタンスなどを30分くらいづつ話していただいた。

この3方のWSのお話は翌日のワークショップで。

 

最後に近藤誠一前文化庁長官の講演。

近代合理(科学・物質・効率)主義で、左脳を使う事が多くなり、社会は発達したが、精神性やモラル(右脳のこと)の復権が必要とのご意見。

ロイヤルコペンハーゲンの美しい色彩・綺麗な円と日本の楽焼の自然にとけ込む色彩や・いびつにも見える形。

日本はより自然と共存、自然の中に生きる事を考えていたかがわかる例をあげて、現代でも多様性を受容出来るはず、余白(間)を大切にする分かである事を改めて示してくれました。

 

1日目のプログラムは以上。

 

その後フル回転したアタマを冷ます為にチームいくよ〜の仲間とご飯へ。

結局お豆腐屋さんでも話は尽きず、22時ころカフェへ。

とっぷり夜も更けました。

GAIA CUATRO – ガイア クアトロ

GAIA CUATRO。

ヴァイオリン、ベース、ピアノ、パーカッションの4名からなるバンド。

なんとなく聴いた事の無いような、懐かしいような曲が流れてくる。

何故だろう・・・ビートが心地よい。

そして、それぞれが奏でる音には、色がついて見える。

とってもカラフルで、素敵な色が演奏の中に散りばめられている。。

 

日本ではジャズ、とかラテンとかのジャンルに近い気もするけれど、

でもそのジャンルにばちっとハマっていないので、明確に「このジャンル」といって固定される事も無いようだ。

個々の能力が卓越している。

まだこれからツアーで各地を回るらしいので、お近くの方は是非。。

 

GAIA CUATRO公式サイト→ http://www16.plala.or.jp/gaia-cuatro/index.html

試聴もできます→ http://www16.plala.or.jp/gaia-cuatro/gaia-cd.html

ヤヒロ  トモヒロさんのサイト→ http://www.tomohiro-yahiro.com/gaia-cuatro.html

 

GAIA

GAIA CUATRO

ワークショップという名前

ワークショップ、と言われてもピンと来ない。

どうも「work=仕事(働く)」だと中学校の時に習ったせいかもしれない。

そんな自分でもマイクさん(https://www.facebook.com/pages/マイケルスペンサー/)のワークショップを受けた時には、「なるほどこれがワークか」という実感を得た。同時に、昔出会ったミスター・キーリーという男性の英国人を思い出した。

 

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中学生の頃、英会話のレッスンに週に一度通っていた。先生はミスター・キーリー。実は僕はその頃に「ワーク」を体験していたのだと思う。よくチームに分かれてグループワークをした。英語のタンゴのカードを並べて文章を作ったり、画が描かれたカードの英単語をひとりひとり交代で言う、というような、ある意味でゲームのようなものだった。

しかし、このゲームはどれもよく考えられていて、個の力だけでなく、グループがまとまってレベルをあげないと他のチームに勝てないようになっている。するとお互いに教え合う。次の問題では教える側と教わる側が入れ替わったりして。これをグループ対抗で行う。

A,B,Cの3つのチームが競っていてAが先に終わるとミスター・キーリーはグミやチョコをくれた。Which  one would you like, gumi or chocolate?なんて。Aの子たちは順番にI’d like gumi, please.なんて答えて行く。これは状況とセンテンスのレッスン(笑)

Aのチームの子たちに聞き終わると、ワークの続きをする。最後の子たちが終わるまでやめない。それが競技などとは違うところだ。順位付けがすめば終わり、ではない。全ての子が自分で答えを導くまで続けるのだ。既に終わったチームの子も、ヒントを出そうとしたり、次の質問のヒントかもしれないとミスター・キーリーの言うことにじっと聞き入る。

次にbグループが終わるとミスター・キーリーは、bグループの子に、順番にWhich one…と質問する。先に終わった子たちと同様に。自ら答えを出したご褒美だったんだろう。早く終わっても遅く終わっても同じ。でも子どもは先にもらえた方が良いから、がんばる。すごくいいインセンティブだった。

他の人任せにしない、ヒントをもらうことはある、でも最終的に自分の責任で回答(考え)を言う。早く終わっても遅く終わっても、自分で答えを導くのが大事。

これが僕のワークの原点だったと思う。

マイクさんのワークはこの体験を思い出させてくれたのだ。

 

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日本ではいわゆる「レッスン」を「ワークショップ」と呼ぶことも多い。

何故だかは知らないけれど、でも「〇〇のレッスン」より「〇〇のワークショップ」といった方が、気軽に参加出来そうだからではないか、と思っている。ほら、レッスンってお稽古ごとで週に何回、とかずっと通わなければいけなさそうだから・・。

 

演劇にしても、音楽にしても、ダンスにしても、クラフトにしても、ワークショップと名のつくものは巷にあふれている。

しかし、自分の中では「先生」が「生徒」に「教える」形のものはレッスンだと思っている。

先生が「形」のあるもの/ことを「直接的に」教え、伝えるのが「レッスン」なら、ファシリテーターがみんなから引き出して、導いて、「一緒に」形作るのがワークショップだと考えている。

「最終的に出来た形」を大切にするのがレッスン(=授業)。その「過程」や「やり方」を大切にするのがワークだとも思う。

噛まずに飲み込んで、それを再現してもOKなのがレッスン。噛み砕いて、違う形にしてしまったとしても、自分なりの噛み砕き方を会得したらOKなのがワーク。

 

もし、自分が小学生向けのワークショップを自治体職員に話すならば・・・

「今までのワークショップは、ある音楽を子供達が上手に再現しようとしたら成功だけれど(レッスンだから)、

自分がやりたいワークは、子供達がその音楽を一緒に聴いた仲間と、『自分はこう感じた(意思の発信)』、『そうなんだ(合意)、私はこう思った。』というやりとりをして、「自分ならこうしてみる」と言って、実際に話し合いをしながら何かを作り上げて行くワークを行えれば成果ありと考えています。」

「例えばそのワークショップの目的(解決したい課題)によっては、音楽でなく、ダンスかもしれないし、美術や演劇、クラフトかも知れないです。でもワークショップはみんなで「ワーク」をする場所にしたい、と考えています。」

 

これが今の自分の回答です。これは解答ではありません。数学のように正解(正しい「解」)はないと思うのです。

 

w君の冒険(音楽ワークショップin久喜)

ファシリテーターのw君は今日のワークショップに遅刻して来た。

何故なら彼の乗った電車はドラゴンに襲われ、暫く行くと大雨に見舞われ、

またまた更に進むと今度は止まってしまったのだ。そこから彼は久喜まで飛んで来たという。

 

これが今日みんなで作った曲のストーリー。

 

w君の乗った電車は本当に遅れて遅刻して来たのだが、彼が本当に飛んで来たのかは知らない(笑)。

 

ということで、今日は久喜でマイクさんのワークショップのお手伝い。

http://www.kuki-bunka.jp/organize/detail.html?id=788

この企画を進めて来た田沼さんには頭が下がります。よくぞ実現してくれました!

 

ところでw君が実際に飛んで来たかはさほど重要じゃなく、

5歳くらいの子から50代くらいまでの大人が一緒にワークショップを行って、

ある短いフレーズからストーリーの曲を作る!というのがこのワークのミソ。

難しいと思われる部分もあったけど、こどもチームも大人顔向けの作曲・演奏をしてくれました。

20140824workshop

 

詳しい内容は書けませんが、誰かの作った音楽を演奏するだけが音楽じゃない、ということを楽しみながら感じてもらえたようで、朝にはほとんど知らなかった人同士が、最後には帰るのも名残惜しそうにお話ししていました。子供達もお友達が何人も出来て嬉しそうでした。

学校以外でのコミュニティや友達づくりって、本当に大切なことだと思います。

 

流木で作るオブジェ。

浜に打ち上がった流木で、何かを作ることなんて出来るのでしょうか?

いま私が担当している「ちばサンドアート2014」では大型の砂の彫刻の他に、いなげの浜に打ち上がった流木などを使った作品の制作を依頼しています。

お願いしているのはアーティストバンクちばに登録している華道家の、山本彩華さん。

http://www.f-cp.jp/images/stories/artist/TS001yamamotosaika.pdf

 

今回のプロジェクトの共通テーマ「海」に関連して作品を作れないかと相談し、打合せのなかでイメージを聞いて、一緒に考え、「竜宮の底」というタイトルで制作をお願いすることにしました。

 

今回は流木の他、山本さんがピックアップした自然のものも使って作品を作ります。

詳しいことはまだ言えないのですが、稲毛海浜公園の「語らいの道」にどんな作品を作ってくれるのか楽しみです。ちばサンドアートのブログに掲載しましたが、山本さんは過去にこんな作品を作ってらっしゃいます。

http://www.f-cp.jp/blog

 

稲毛海浜公園内の「語らいの道」に9月13・14日に現れる「龍宮の底」は、どんなストーリーを語ってくれるのでしょうか。流れ着いた木や自然のものに再び命を吹き込むのは「草月 浜の仲間たち(代表:山本彩華)」のみなさん。

 

これから制作に入るそうなので、また取材したいと思います。

 

米沢・仲道郁代さん演奏会その3

米沢駅で待っていてくれたのはなんと蛾の大群。

米沢で異常発生しているらしい・・・。

Sさんはもうぎゃーってなっている・・。

てぬぐいで口を押さえながらバス停に向かって次のバスを確かめるも1時間先まで無いし、

5月まで雪が積もるとは思えないほどあっついし、撮影用にカメラバッグと三脚まで抱えているので、仕方なくタクシーで移動。

タクシーの運転手さん(女性だった)の話だと、冬は信号も見えなくなるほど吹雪くこともあると・・・。大変なところだ。。

そう言えば米沢に住んでた友達も、「冬は近所のスーパーに行くのに吹雪で遭難しそうになった」とか、「雪かきしてから仕事に出かけて、帰って来てたら玄関が雪に埋まって家に入れなかった」とか言っていたっけ。恐るべし米沢。

でも伝国の杜に着くと、すごくいいエリア。

ホールの周りに空地があるって大事だ。空地だけど都心部みたいにビルと同じような石の床が敷き詰められてるんじゃなくて、芝生の中に歩道があって。その奥にはお堀や神社があって。お城の跡地というのがよくわかる。

正面でタクシーを降りて入口を入ると、どどんと能舞台。なるほどこれが噂の・・・。