kiyo-foto-musica

ISHIKAWA Kiyotaka

ワークショップ

16-08-21 「葵上」が読めない。

河村晴久さんにご紹介頂いた、レクチャー&体験の『「葵上」の魅力』。
「葵上」を「あおいのうえ」、と読めない。これはまずいと思って急遽前日に京都まで行くことを決定し新幹線の予約。

河村さんはマイクさんや仲道さんのワークショップを自らご覧になり、自身のフィールドである能楽にプラスになることを行いたいと考えている方で、伝え方も非常に工夫をなさる。

今回の講座でも、必要に応じて話をしたり、資料を投影したり、所作を見せたり、謡をうたったり。

一番驚いたのは「葵上」というタイトルなのに「葵上」さんは舞台に出てこず、着物一枚を舞台に据えて、それが葵上を表しているという、まさに引き算の芸術の賜物的な一面。
深い、深い。

ちなみに能楽で使う「面」は「おもて」と読みます。
「直面」は「ひためん」。直面はなんと面をつけていない状態(=顔そのまま)のこと。混乱しそうです。

英語で言う”mask”は「覆って隠す」意味合いのものですが、「面」は内面をさらけ出して外に伝えるもの。
マスクとおもてでは、同じ顔につけるものでも、まったく異なるものだそうです。

ちなみに、有名な「般若」の面は角を生やした鬼ですが、目は悲しい目をしているそうです。なんとも奥深いですね。

11月に福島で河村さんを招いて行うプロジェクトでは、さらにこの能楽をツールとして、参加者同士のコミュニケーションを促進することができないだろうか、などと考えています。
その一月前の10月には、また少し違った観点で事前の対談会を企画中。

主催は福島在住の以前公共ホールに勤めていた仲間。帰りの東京までの新幹線の中は打ち合わせタイム。これからまた楽しみです。

16-08-20 パターン、認識、ジョシュアツリー。

先日、マイケル・スペンサー氏(マイクさん)の講座の中で、「パターン」の話が出てきた。

人が音楽を認識する過程では、記憶とパターンの照合を行っているらしい。

脳は聞いている音楽の部分部分を、今まで貯めた脳内図書館のようなところの記憶と照合して「あ、これは前に聞いたことがある」、「これは前に聞いたパターンと似ている」というパターンの認識を行っているということだ。

 

先日読んだデザイン関係の本「The Non Designer’s Design Book」には、(記憶だよりで、大雑把にしか書けないが)こんなことが書かれていた。

子供の頃、プレゼントに植物の本をもらい、読んでいるとジョシュアツリーという木について書かれていた。
見分け方は比較的簡単だったが「自分はこの木を見たことがない、きっとこの近くにはないんだ」と本を読みながら考えた。
ところが家の外に出て近所の木を見てみると、多くの家の庭にジョシュアツリーが立っている。
今まで「見て」なかったのだ。そこにあるのに、見えていなかったのだ。見えていなかったものが、「こういう特徴を持った木がジョシュアツリーという名前で、この世に存在する」、と認識したから、初めて「見えた」のだ。

 

マイクさんのいう音楽のパターンの認識もこれに近いことがあるのではないかと思った。

音楽の構造やパターン、強弱、テクスチュアなど、音楽を認識する言葉や概念を知らないと、言葉にして伝えられないどころか、自分の中でも理解できないし、覚えることもままならない。

聴き方の能力を上げることは、こういう概念を認識することから始まるのかもしれない。

マイクさんはそんなプログラムを用意してくれる。それを各地の先生や児童・生徒に届けられるのは、非常に面白いことだと思っている。

 

16-07-28 マグカップのお言葉

先日、僕のワークショップの師匠からお言葉をいただいた。

というか、お言葉の入ったマグカップをいただいた。

「ワークショップに重要なことが書いてあります。」

と言って渡してくれたのは。

KEEP CALM AND CARRY ON

KEEP CALM AND CARRY ON

「(ワークショップ中は)落ち着いて。そして続けていくことです。」

と。

確かに重要なことですが・・。

 

そしてもうひとつマグ。

 

MIND THE GAP

MIND THE GAP

 

曰く、「落とし穴に注意!」・・・だそうです。

 

確かにワークやってて落とし穴はそこかしこに潜んでますからね・・。

8月に行う佐賀でのワークショップ。

これも落とし穴に気をつけて行きましょう・・。

 

これはロンドンのジョークなのだろうか・・。