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ISHIKAWA Kiyotaka

Monthly Archives: 8月 2014

ワークショップという名前

ワークショップ、と言われてもピンと来ない。

どうも「work=仕事(働く)」だと中学校の時に習ったせいかもしれない。

そんな自分でもマイクさん(https://www.facebook.com/pages/マイケルスペンサー/)のワークショップを受けた時には、「なるほどこれがワークか」という実感を得た。同時に、昔出会ったミスター・キーリーという男性の英国人を思い出した。

 

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中学生の頃、英会話のレッスンに週に一度通っていた。先生はミスター・キーリー。実は僕はその頃に「ワーク」を体験していたのだと思う。よくチームに分かれてグループワークをした。英語のタンゴのカードを並べて文章を作ったり、画が描かれたカードの英単語をひとりひとり交代で言う、というような、ある意味でゲームのようなものだった。

しかし、このゲームはどれもよく考えられていて、個の力だけでなく、グループがまとまってレベルをあげないと他のチームに勝てないようになっている。するとお互いに教え合う。次の問題では教える側と教わる側が入れ替わったりして。これをグループ対抗で行う。

A,B,Cの3つのチームが競っていてAが先に終わるとミスター・キーリーはグミやチョコをくれた。Which  one would you like, gumi or chocolate?なんて。Aの子たちは順番にI’d like gumi, please.なんて答えて行く。これは状況とセンテンスのレッスン(笑)

Aのチームの子たちに聞き終わると、ワークの続きをする。最後の子たちが終わるまでやめない。それが競技などとは違うところだ。順位付けがすめば終わり、ではない。全ての子が自分で答えを導くまで続けるのだ。既に終わったチームの子も、ヒントを出そうとしたり、次の質問のヒントかもしれないとミスター・キーリーの言うことにじっと聞き入る。

次にbグループが終わるとミスター・キーリーは、bグループの子に、順番にWhich one…と質問する。先に終わった子たちと同様に。自ら答えを出したご褒美だったんだろう。早く終わっても遅く終わっても同じ。でも子どもは先にもらえた方が良いから、がんばる。すごくいいインセンティブだった。

他の人任せにしない、ヒントをもらうことはある、でも最終的に自分の責任で回答(考え)を言う。早く終わっても遅く終わっても、自分で答えを導くのが大事。

これが僕のワークの原点だったと思う。

マイクさんのワークはこの体験を思い出させてくれたのだ。

 

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日本ではいわゆる「レッスン」を「ワークショップ」と呼ぶことも多い。

何故だかは知らないけれど、でも「〇〇のレッスン」より「〇〇のワークショップ」といった方が、気軽に参加出来そうだからではないか、と思っている。ほら、レッスンってお稽古ごとで週に何回、とかずっと通わなければいけなさそうだから・・。

 

演劇にしても、音楽にしても、ダンスにしても、クラフトにしても、ワークショップと名のつくものは巷にあふれている。

しかし、自分の中では「先生」が「生徒」に「教える」形のものはレッスンだと思っている。

先生が「形」のあるもの/ことを「直接的に」教え、伝えるのが「レッスン」なら、ファシリテーターがみんなから引き出して、導いて、「一緒に」形作るのがワークショップだと考えている。

「最終的に出来た形」を大切にするのがレッスン(=授業)。その「過程」や「やり方」を大切にするのがワークだとも思う。

噛まずに飲み込んで、それを再現してもOKなのがレッスン。噛み砕いて、違う形にしてしまったとしても、自分なりの噛み砕き方を会得したらOKなのがワーク。

 

もし、自分が小学生向けのワークショップを自治体職員に話すならば・・・

「今までのワークショップは、ある音楽を子供達が上手に再現しようとしたら成功だけれど(レッスンだから)、

自分がやりたいワークは、子供達がその音楽を一緒に聴いた仲間と、『自分はこう感じた(意思の発信)』、『そうなんだ(合意)、私はこう思った。』というやりとりをして、「自分ならこうしてみる」と言って、実際に話し合いをしながら何かを作り上げて行くワークを行えれば成果ありと考えています。」

「例えばそのワークショップの目的(解決したい課題)によっては、音楽でなく、ダンスかもしれないし、美術や演劇、クラフトかも知れないです。でもワークショップはみんなで「ワーク」をする場所にしたい、と考えています。」

 

これが今の自分の回答です。これは解答ではありません。数学のように正解(正しい「解」)はないと思うのです。

 

w君の冒険(音楽ワークショップin久喜)

ファシリテーターのw君は今日のワークショップに遅刻して来た。

何故なら彼の乗った電車はドラゴンに襲われ、暫く行くと大雨に見舞われ、

またまた更に進むと今度は止まってしまったのだ。そこから彼は久喜まで飛んで来たという。

 

これが今日みんなで作った曲のストーリー。

 

w君の乗った電車は本当に遅れて遅刻して来たのだが、彼が本当に飛んで来たのかは知らない(笑)。

 

ということで、今日は久喜でマイクさんのワークショップのお手伝い。

http://www.kuki-bunka.jp/organize/detail.html?id=788

この企画を進めて来た田沼さんには頭が下がります。よくぞ実現してくれました!

 

ところでw君が実際に飛んで来たかはさほど重要じゃなく、

5歳くらいの子から50代くらいまでの大人が一緒にワークショップを行って、

ある短いフレーズからストーリーの曲を作る!というのがこのワークのミソ。

難しいと思われる部分もあったけど、こどもチームも大人顔向けの作曲・演奏をしてくれました。

20140824workshop

 

詳しい内容は書けませんが、誰かの作った音楽を演奏するだけが音楽じゃない、ということを楽しみながら感じてもらえたようで、朝にはほとんど知らなかった人同士が、最後には帰るのも名残惜しそうにお話ししていました。子供達もお友達が何人も出来て嬉しそうでした。

学校以外でのコミュニティや友達づくりって、本当に大切なことだと思います。

 

流木で作るオブジェ。

浜に打ち上がった流木で、何かを作ることなんて出来るのでしょうか?

いま私が担当している「ちばサンドアート2014」では大型の砂の彫刻の他に、いなげの浜に打ち上がった流木などを使った作品の制作を依頼しています。

お願いしているのはアーティストバンクちばに登録している華道家の、山本彩華さん。

http://www.f-cp.jp/images/stories/artist/TS001yamamotosaika.pdf

 

今回のプロジェクトの共通テーマ「海」に関連して作品を作れないかと相談し、打合せのなかでイメージを聞いて、一緒に考え、「竜宮の底」というタイトルで制作をお願いすることにしました。

 

今回は流木の他、山本さんがピックアップした自然のものも使って作品を作ります。

詳しいことはまだ言えないのですが、稲毛海浜公園の「語らいの道」にどんな作品を作ってくれるのか楽しみです。ちばサンドアートのブログに掲載しましたが、山本さんは過去にこんな作品を作ってらっしゃいます。

http://www.f-cp.jp/blog

 

稲毛海浜公園内の「語らいの道」に9月13・14日に現れる「龍宮の底」は、どんなストーリーを語ってくれるのでしょうか。流れ着いた木や自然のものに再び命を吹き込むのは「草月 浜の仲間たち(代表:山本彩華)」のみなさん。

 

これから制作に入るそうなので、また取材したいと思います。

 

米沢・仲道郁代さん演奏会その3

米沢駅で待っていてくれたのはなんと蛾の大群。

米沢で異常発生しているらしい・・・。

Sさんはもうぎゃーってなっている・・。

てぬぐいで口を押さえながらバス停に向かって次のバスを確かめるも1時間先まで無いし、

5月まで雪が積もるとは思えないほどあっついし、撮影用にカメラバッグと三脚まで抱えているので、仕方なくタクシーで移動。

タクシーの運転手さん(女性だった)の話だと、冬は信号も見えなくなるほど吹雪くこともあると・・・。大変なところだ。。

そう言えば米沢に住んでた友達も、「冬は近所のスーパーに行くのに吹雪で遭難しそうになった」とか、「雪かきしてから仕事に出かけて、帰って来てたら玄関が雪に埋まって家に入れなかった」とか言っていたっけ。恐るべし米沢。

でも伝国の杜に着くと、すごくいいエリア。

ホールの周りに空地があるって大事だ。空地だけど都心部みたいにビルと同じような石の床が敷き詰められてるんじゃなくて、芝生の中に歩道があって。その奥にはお堀や神社があって。お城の跡地というのがよくわかる。

正面でタクシーを降りて入口を入ると、どどんと能舞台。なるほどこれが噂の・・・。

 

 

END ALS

“NHK ブレイクスルー  File9 続 広告プランナー“ヒロ”  難病ALSとの闘い”

 

生きる為には科学も医療も福祉も必要で、
アートも必要に違いない。
だとしたらアートは問題を解決する手段
としての働きも必要で、アートの中の世界だけで
生きていてはいけない。

福祉の世界がアートに興味を持って、
「助けになるのではないか?と思っている時に、
音楽はソトの世界に目を向けてるだろうか?
美術はクスリの代わりになれる可能性を考えているだろうか?

僕の祖父はALSと最後まで戦った。

僕は既に網膜色素変性症と戦ってるが、
これは完全失明にまでは至らない場合が多い。
でも治療法は無い。重度は違うがALSと同じ
国が指定する「難病」だ。

新たにALSにケンカ売られやしないかと怯えてる。
ALSにもケンカ売られたら、ALS患者にとって
最後まで見えるはずの目が既に見えなかったら・・。
それはもうヒロさんとおんなじ思いだ。
想像しただけで気が狂いそうになる。

でも残念なことに自分が逃げたら、追われる。
絶対にその恐怖からは逃れられない。
「見えなくなるかもしれない」という思い、
恐怖は、いよいよとうとう見えなくなった時に
やっとその恐怖から解放される。
これは映画「解夏」が教えてくれた。

だから、いやだろうとなんだろうと、
こっちから向かって行くしか無い。

http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2014-07/21.html

9/1(月)午後1:05〜 NHK Eテレ。

米沢・仲道郁代さん演奏会その2

臨時つばさ号に東京から乗って、米沢駅に向かっていた。
お弁当を食べ終わってひと休憩。
今日の不思議ボール公演は許可をいただいて記録撮影することになっているので、ビデオカメラ用メモリーカードの最終チェックなどをしていると、つばさはあっという間に宇都宮、郡山と北上。
福島からは在来線区間に入り、スピードも半減。
特急列車の旅も楽しめる、お得な山形新幹線。

新幹線ホームらしからぬ(それもそのはず、れっきとした在来線ホームですからっ!)ホームに降り、米沢牛(黒い牛がいた。動かないけれど)に迎えられて駅舎の外に出る。すると、そこにはなんと◯の大群!

米沢・仲道郁代さん演奏会その1

8/2、午前8時、東京駅から出る臨時つばさ号でお弁当を広げていた。

山形県米沢市にある伝国の杜 置賜文化ホールでピアニスト仲道郁代さんの公演を聴きに行くところ。

郁代さんは去年の一月、地域創造のステージラボという研修プログラムでコースのコーディネーターとして3日間みっちりご一緒させていただいてから、いろいろな情報をいただいたりしている。

演奏活動はもちろんだけど、地域の公共ホールや文化振興財団のような組織が、街の中でどういう役割を果たしていけるか、演奏家は?音楽が社会に何を還元出来る?と、常々考えて行動されているので、本当に勉強になる。

今日米沢に向かっているのは3歳児から大人まで楽しめる「不思議ボール」という公演を観に、勉強しに行くためだ。隣では上司のSさんが同じく弁当を広げている。